イケメン?浅井長政とスイーツ〜小谷城和りんご

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こんにちは、キョウドの野望です!

先日、道の駅 伊吹の里 旬彩の森さんで見かけて、気になって買ったこちらのお菓子

POPに「浅井長政も食べた」的なことが書いてあったので、ちょっと調べてみました。

長政が発給した、林檎献上への礼状が残されているようです。

もらったからには食べたであろう、という推定ですね

「林檎一籠を送っていただき、執着なり」
三殊院宛 浅井賢政(後の長政)書状カ

原文を見つけきれませんでしたが、ネット上の断片情報を集めると上記のような書状のようです。 『近代の歴史を築いた人々』(滋賀県立琵琶湖文化館編・1989年)

賢政の諱は、永禄2年正月から永禄4年6月まで使用していたようで、数え年で15〜17。家督も16歳で継承しているので、ネット上の「幼少」「幼名」という表現は当たらない気はします。

送り主の「三殊院」※は、天台宗法華寺十坊の一つに数えられ、僧坊百ニ宇の大寺院だったそうです(『興福寺文書』)。石田三成の有名な逸話「三献の茶」の舞台だともいいます。 ※現・滋賀県長浜市木之本町古橋

ここでいう「林檎」は、「和リンゴ」だと考えられています。

和リンゴは、平安中期に中国から伝来したとされています。最初の漢和辞典『倭名類聚抄』に林檎と書いて、和名は「利宇古宇(りうこう)」と記載があります。

用途は、衰弱した病人の食欲増進、仏前の供物、献上用とされ、庶民が気軽に口にできる感じではなさそうです。

現在身近な「西洋リンゴ」よりも小振りで酸味が強い品種。栽培は、仏教寺院や武家屋敷に限られていたそうです。長政に贈られたリンゴも、三殊院の寺内で収穫されたものかもしれませんね

和リンゴは、西洋リンゴの普及によって姿を消し、滋賀県でも栽培が途絶えていました。同県彦根市で和リンゴ栽培を復活させる動きがあり、長浜市でも前掲のエピソードから「小谷城和りんごを復活させる会」が発足。ジャムやゴーフレットにも利用されています。

ゴーフレットは、甘酸っぱくて美味しいです。ご当地で見かけたら、戦国時代に思いを馳せながら、ぜひ召し上がってみてください。

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