伊達晴宗 だて・はるむね
1519-1578
①陸奥の大名。伊達家15代当主。稙宗の嫡男。12代将軍・足利義晴の偏諱を受けた。
②伊達氏といえば、「奥州探題」のイメージがある。
実際は、足利一門・斯波氏の一族である、大崎氏が世襲していた。(ゲーム登場は『覇王伝』から)
父・稙宗は、守護不設置のはずの陸奥国で実のない「守護」補任を受けるが、これを無視。
晴宗も引き続き、足利義輝へ、奥州探題補任の運動を展開した。
しかし、簡単には事は運ばなかった。
③シナリオ1開始の1555年3月。
晴宗の左京大夫叙任、嫡子・総次郎に将軍偏諱を受けた(輝宗)タイミングで、重臣の桑折景長・石母田光頼に「毛氈鞍覆(もうせんくらおおい)・白傘袋の使用許可※」を取り付けた。 ※赤い毛織物による馬の鞍カバーと、貴人が使う大きい傘の袋
これは、両名に守護代相当の儀礼格式を公認=主君・晴宗は守護相当、すなわち探題相当と「間接的に」認められたに過ぎなかった。
晴宗は、なおも諦めず、義輝周辺に、探題・大崎氏と同格の書札礼(しょさつれい)※=実質的な伊達家の家格向上を要求。 ※文書をやり取りする際の格式。そのまま大名家の格式を表した。
ついに、1559年、正式に、晴宗に奥州探題、桑折・石母田に守護代の補任を引き出す。
だが、その後も、大崎氏と同格の書札礼は、許可されていなかったようである。
④ゲームでは、『天翔記』以降、一定の地域を武力制圧すれば、勝手に補任される奥州探題ですが、簡単になれるもんではないですね!
⑤晴宗といえば、「洞の乱(うつろのらん・天文の乱)」。と、子・輝宗との対立。
越後・上杉氏への養子入りを妨害された、弟・実元とは、相性C同士で悪くない。
しかし、輝宗や政宗(F)とは、結構離れている。
⑥伊達でプレイするなら、政宗登場が近い、シナリオ2ですよねぇ(笑)
政60/戦60/教69/魅79/野68
参考文献:黒嶋敏『天下人と二人の将軍』(平凡社、2020年)