信長の野望 武将風雲録 列伝〜牧野久仲

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牧野久仲(まきの・ひさなか)

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①伊達家臣。中野宗時の二男。陸奥守護代。

②洞の乱で、伊達晴宗方の宿老・牧野宗興、景仲父子が戦死し、その跡を継ぐ。この一事からも、久仲の父・中野宗時への主君・晴宗の信頼が窺い知れよう。

③晴宗の奥州探題補任に関わったとみられ、桑折景長、石母田光頼とともに、将軍・足利義輝から「陸奥守護代」に任ぜられ、「毛氈鞍覆(もうせんくらおおい)・白傘袋の使用許可※」を許された。 ※赤い毛織物による馬の鞍カバーと、貴人が使う大きい傘の袋、「伊達晴宗」の項参照

④晴宗の子・輝宗政権下でも権勢を保持していたようだが、1570年「元亀の変」で、父・宗時とともに輝宗から追討を受け、出奔。帰参を願い出るも生涯赦されなかったという。

⑤輝宗の子・政宗の代に、久仲の孫・盛仲が宿老の家格に復帰。1593年のことであった。

⑥だが、牧野氏は再び没落する。

1650年、盛仲の子・茂仲が罪をえて御家断絶。のち茂仲義弟が自らの知行を割譲して、茂仲の子・重仲が平士の家格で再興したらしい。1661年。

⑦ダーティーなイメージを払拭できず、目をつけられ続けたのだろうか。江戸初期の「伊達騒動」に絡む歴史観もあるようで、真相は闇の中?

詳しくは、「中野宗時」の項に書く予定。

⑧スマホ版では、高い政治力は使えるものの、僧侶系武将並みの戦闘の低さが哀しい。元亀の変で、さしたる軍事的抵抗もできず、没落したことが影響したか。

◾️98版
政69/戦45/教65/魅66
◾️スマホ版
政84/戦10/教65/魅66

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